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日本山岳会 群馬支部

ぐんま県境稜線トレイル全線踏査(第4班 野反湖~三国峠)

野反湖~三国峠(約26Km) 日本山岳会群馬支部は、支部創設5周年のイベントとして、『ぐんま県境稜線トレイル』のリレー踏破を行っている。第4回となる野反湖-三国峠のルートを2018年8月18日19日に縦走した。

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1.ルートの概要

『ぐんま県境稜線トレイル』(以下稜線トレイル)で野反湖・三国峠間は、白砂山までが長野と、そこから先は新潟と県境を接する約26kmである。この辺りも上信越高原国立公園であり、ルートはほぼ中央分水嶺に沿っている。コース難易度はB5相当(上級者コース)である。
アプローチは車が便利。野反湖側はバスが利用できるが本数が限られる。車の場合、送迎又は入山・下山口の両方に車を置いての縦走が考えられる。1台で日帰りの場合は、野反湖-忠次郎山往復、三坂峠-忠次郎山往復及び三坂峠-三国峠間を歩くというように数回に分けることになるだろう。

この8月11日に稜線トレイル100kmが全線開通したが、これは、白砂山・三坂峠間約12kmが刈払われて既存の登山道とつながったことをいう。

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2.コースガイド
DSCN1.JPG野反湖畔の白砂山登山口から堂岩山までは樹林の中を行く。途中に水場がある。堂岩山を越えると展望のよい稜線歩きが続く。
多雪の上越国境は、新潟側では低木帯が稜線近くまで迫っているのに対し、群馬側は峻険な地形に笹だけが生い茂っているため足元は切れているが見晴らしがよい。
正面の谷川連峰から右回りに日光連山と日光白根山、赤城山、榛名山をはじめぐんま百名山の山々、南に富士山、そして南八ヶ岳、遠く北アルプス、浅間山や草津白根山と続く。信越側では岩菅山、佐武流山、苗場山が近い。笹が刈払われたばかりの足元には、まだ草花が入り込んでいない。
上ノ間山、忠治郎山、上ノ倉山とアップダウンをこなして大黒ノ頭から降りるとなだらかになる。ムジナ平だ。登山道の脇に刈払われた平場がある。さらに500mほど行くと水場入口となる。(セバトノ頭の300mほど手前) 幕営はこのコースの中間で水場のあるこ

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のムジナ平ということになるだろう。セバトノ頭から少し下った吊り尾根は、このコース随一のビューポイントだ。ここから三坂峠まで標高差約400mを下る。低木帯に入ると、このコースで唯一の岩交じりの道となる。やがてブナや樺など高木が現れ、間もなく三坂峠に着く。三坂峠からも、西稲包山、稲包山、長倉山などのピークを越える。ようやく三国峠に着き、三坂神社に祀られた三国権現に無事帰還を感謝する。

【標準的な歩行時間】(http://www.pref.gunma.jp/03/av01_00010.htmlから引用)
・東進ルート 約16時間(当日のGPSデータでは距離26.3km、累積標高差+2218m-2587m)
野反湖白砂山登山口→0:55地蔵峠→1:50堂岩山→1:20白砂山→1:20上ノ間山→1:40忠次郎山→1:10上ノ倉山→0:50ムジナ平→2:35三坂峠→1:20稲包山→3:15三国峠

・西進ルート 約17.5時間(距離と累積標高差は東進ルートを参照)
三国峠→3:50稲包山→1:00三坂峠→3:40ムジナ平→1:15上ノ倉山→1:00忠次郎山→1:45上ノ間山→1:45白砂山→1:05堂岩山→1:20地蔵峠→0:45野反湖白砂山登山口

【注意点】新規開通の白砂山-三坂峠間
①アップダウンが多く長距離
②エスケープルートがない
③避難小屋がなく、水場も1ケ所
④現時点で山頂以外には道標がない。水場の位置が分かりにくい

3.周辺の山と温泉・スキーなど
【登山】
・佐武流山(2192m)(日本二百、信州百名山)
・苗場山(2145m) (日本百、信州百、新潟百名山)
・野反湖から三壁山を経て西進する稜線トレイル
・三国峠から三国山を経て東進する稜線トレイル

【温泉・スキー】
・四万温泉;http://shimaonsen.com/
・法師温泉;http://www.hoshi-onsen.com/
・猿ヶ京温泉;http://sarugakyo-ryokan.com/index.html
・苗場スキー場

4.エピローグ
最初の白砂山登頂記録は、1917年(大正6年)10月、日本山岳会の日高信六郎氏と森喬氏が地元のガイドと登ったものである(「山岳」第14年第1号(大正9年)『白砂登山記』)。この中で、「笹の中に壊れ残った三角標柱のみが淋しく立ってゐる」とあり、すでに山頂には三角点標石があった。もちろん、地元の人々は生活の糧を求め、はるか以前からこの山域を歩き回っていた。
白砂山から北へ長野・新潟の県境尾根をたどると佐武流山から苗場山に至る。1984年(昭和59年)に選定された日本二百名山の一座である佐武流山は2000年(平成12年)まで信越側からの夏道がなく、残雪期に白砂山から往復することが一般的だった。
一方、三国峠から白砂山を経て野反湖までの最初の縦走記録は、1935年(昭和10年)4月である。(http://yamaame.com/ による)Webでこのコースの縦走記録を検索すると、残雪期が過半であり、縦走の目的は分水嶺踏破、ぐんま県境トレースおよび“困難への挑戦”である。彼ら彼女らが付けたプレートをみて感心するのは、GPSのない時代、低木や背丈を超える笹をかき分けて、ほぼ正確に県境をたどっていることである。(日本山岳会群馬支部;CL鈴木、北原、佐藤、中山、黛、田中)

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