平日トレッキング「牛道」実施報告
事業委員 佐藤レイ子

10月30日(木)総勢21名「牛道」を歩きました。
「牛道」とは、「明治時代、葡萄鼻山の南で銅鉱脈発見され、その鉱石を牛にかつがせて運んだ道」とのこと。昭和初期、350人余が働いていて、昭和31年に閉山したあとは、山菜道、熊獲り道、炭焼き道として活用されていました。
しかし、しだいに通る人もいなくなり道は荒れ藪と化してしまいました。
今回、この道を長い年月をかけ藪刈りをして復活させ、村に移住までしてしまった地質の専門家 稲葉夫妻と地元の重鎮 平田大六氏の案内で歩きました。
昨年も、トレッキングで立烏帽子から葡萄鼻山まで歩いていますので一年振りです。登山口からまず梁山泊まで緩い登りが続きます。もうここは熊の生息地、登山道脇の杉の木はすべて熊はぎにあっており、今はとても単独では来る気がしません。今回はみんな鈴を携行、熊スプレーを持ち、何回も爆竹を鳴らしながら進みました。梁山泊は昔、飯豊の冬山に登るために建てたとのこと。
途中2回休憩し、1時間ほどで梁山泊に到着です。関川村の管理に代わったとのこと。少し休憩して出発する。道はウダイカンバの大木が林立する緩やかな登りで、途中、炭焼き窯の残骸を左に見て葡萄鼻山の登り口まできてようやく平らになる。まだ整備されなかった頃、トラバース道をしばらく行った所で熊に遭ったことがある。でも、あちらのほうから逃げていった。今の熊はどうだろうか。
道はほぼ水平だ。広々している所もあるが、急斜面のへつりが多く、牛が通っていたとは思われないほど狭く、斜面は崩れ足場も悪く、3カ所小沢をトラバースするときは注意が必要だ。でも広く開けた場所では、辺りのブナ林の紅葉は美しく感動した。先頭を歩く平田大六氏は御年92歳と思えないほど足取りは軽く身のこなしも素早く、とてもついて行けない。途中で冠雪の飯豊連峰も望めた。また、流紋岩が大きく露出ているところがあり、流動したマグマの痕跡を見ることができた。
平田氏を必死に追いかけ、11時40分、住居から鉱山に行く道に合流するT字路(刈払いはここまで)に到着し今回の目的地としました。
下山してから、「せきかわ歴史とみちの館」に寄り映像を見たり資料を見たりして越後支部の歴史に触れました。(企画展は12月7日まで開催・月休・無料)
- 葡萄鼻山
- 縦走路からの飯豊連峰
- オヤリハグマ
- 案内役の平田大六氏




